1年後・2年後に受験を迎える子と親へ

2020.02.07 Friday 15:50
0

    2020年も12分の1の月日が過ぎました。センター試験と中学入試は終了し、2月に突入した現在は、私立大学・国公立2次・高校入試が佳境をむかえています。中学入試に限って言えば、首都圏の国立私立中学受験者数は4万人台後半を推移し、公立中高一貫校の受験者数と合わせると6万人を超え、首都圏に在住する小学6年生(約29万人)の5人に1人が中学入試に臨んだ計算となります。そして、受験シーズンが終わると同時に1年後2年後の受験に向けて新たな戦いが始まります。

     

     

    ■そもそも受験する意味を考えたことがありますか?

     

    受験に対する子と親の熱の入れ様は相当なものです。中には、少しでも偏差値や知名度が高い学校に我が子を進学させようと躍起になっている親もいれば、目の前に敷かれたレールを信じて進まなければならないと自分を追い込んでいる子もいるでしょう。受験の道を選ぶ、志望校を決定するという判断に対する理由とプロセスは人それぞれに異なりますが、1〜2年後の受験に臨もうとする子と親へ、胸に手をあてて考えてほしいことがあります。

     

    「あなたはなぜ受験をする(させる)のですか?」

     

    偏差値の高い学校を出れば約束された将来がある(はずだ)から。

    大学進学実績の高い学校だから。

    就職に有利な大学だから。

    我が子に苦労する道を歩ませたくないから。

    社会の勝ち組になるため。(負け組にならないため。)

    自分(親)と同じエリート街道を歩ませたいから。(もしくは、同じ低学歴の道を歩ませたくないから。)

    周囲に対して優越感を抱きたいから。

    周りが受験する雰囲気だから。

    自分だけ周りから出遅れないために。

     

    上記に挙げた理由にあてはまる方は、今一度受験する意味を考えてみてください。

     

     

    ■勉強は世の中に必要とされる、考えられる大人になるためにあるもの

     

    受験勉強を通して学びとるものは、パズルを解くような解法の暗記と受験攻略テクニックではありません。受験勉強は、問題から問われている本質を読み取る力、想像力・判断力を駆使して思考する力を養います。中でも大切な成果は、"知りたい・学びたい”という知の欲求を抱ける大人になることです。

     

    勉強して身につけたこれらの能力は、自らの可能性を広げ、未知への挑戦を可能にします。視野の広さと知的好奇心は、得意とする分野や興味の持てる道に出会える可能性を引き上げるでしょう。そして、職業はもちろん、社会活動から趣味に至るまで能力を発揮できるフィールドが広がります。人は社会に生きる生き物ですから、自らの生業や活動が人から必要とされたり、世の中の創造を担ったりする経験により幸福感を得られます。勉強して積み上げた能力は、どのように使われるべきなのか、昨年の東京大学学部入学式の式辞において上野千鶴子さんはこのように述べています。

    「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。(原文のまま、一部抜粋)」

     

    知性を持たない人は、限られたコミュニティに固執して自分を中心にした尺度で物事を解釈したり、客観的根拠を考えずうわべの情報に流されて行動したりしてしまいがちです。そうした社会には、排除や偏見を助長する空気や変化を受け入れない風土が渦巻き、新しい価値の創造は起こりません。

     

    何のために受験するのか、目指したいものや好きなものを学べる環境または個性を伸ばせる環境を手に入れるためでもいいし、受験勉強自体に面白さを見つけられるのならば、それでもいい。答えは、あなたが考えて納得してください。

     

    1年後の入試まで残り365日を切りました。一日平均3時間の自習時間(塾の授業時間はカウントしませんよ)をとるとすれば、1,095時間となります。2年後の入試ならば、2,190時間となります。この時間を"まだ余裕がある”と思うか、"もうこれだけしか残されていない”と思うかは、あなた次第です。新受験生のみなさん、心に決めた受験動機をもって勉強に励んでください。(励み方・計画の立て方が分からない時は、理科塾も力になりますよ。)

     

     

    理科塾|探究で思考力を高める 理科実験&国語の専門塾

    https://rika-jyuku.com

     

     

     

     

     

    category:塾経営の独り言 | by:理科塾comments(0) | -

    無駄で俗な経験こそ学力向上の秘訣

    2020.01.29 Wednesday 15:21
    0

      ■経験則が減っている?現代の子どもたち

       

      AI・5G・ゲノム等々、日進月歩する文明の進化は世の中を便利にしています。一方で、日常の森羅万象を成長とともに学ばなければならない子どもたちにとって、現代社会は、物事の現象とその原理や仕組みを体感しづらい世の中とも言えます。デジタル機器とネット環境の普及によりボタン一つ(場合によってはボタンすらない)押せば欲しいものや情報を手に入れられます。また、時に安全安心を過剰に意識する風潮は、子どもたちから駄菓子や俗な遊び、あるいは家のお手伝いを遠ざけてしまっています。

       

      私が子どもだった30〜40年前はアナログな時代でしたから、今よりも生活の中に経験的な学びがありました。

       

      ラジオのエアーチェックに夢中だった小学生の頃、遠くの地域や外国から飛んでくる微弱電波をなんとか受信できないものかとアンテナに同軸ケーブルを巻き付けたり、立体駐車場など高い場所にラジオを持って行ったりしていました。そんなマニアックな遊びから鉄筋コンクリートの建物よりも木造の建物の方が受信しやすいとか、深夜になると外国の電波が届きやすいとか、経験的に知ることができました。

       

      家の手伝いの中にも経験的な学びが転がっていました。お風呂準備のお手伝いでは、お湯をはると水面が熱くなり浴槽の下が冷たくなるので、最後にお湯をかき混ぜておかなければならず、温められた水は軽くなるのだと感覚的に学んでいました。また、石油ストーブに灯油を補充するお手伝いでは、灯油ポンプの仕組みを体で学びました。(灯油ポンプの止めどころが小学生には難しく、灯油を溢れさせては怒られたものです。)挙げるときりがありませんが、加減や調整が必要なものが溢れていましたから詳しい原理を知らずとも感覚的に現象を知る機会が多くありました。

       

      今では、インターネットラジオで日本全国の放送をクリアに聞けます。お風呂のお湯炊き機能は進化して、ボタン一つで正確な湯温にお湯をはれます。石油ストーブは今でも健在ですが、床暖房や全室空調の普及により子どもが灯油を補充する光景はほとんど見られなくなりました。

       

       

      ■学習の理解を深める経験則

       

      理科実験が実験室の中だけのものとならないように、私は、できるだけ身のまわりのものに関連付けて生徒に理解を促しています。ところが、前提となる経験や知識が生徒に欠けていてポカンとされてしまうことが年々増えている気がします。

       

      例えば、糖の実験において単糖類である果糖(フルクトース)を紹介する際に以下のような話をしました。

       

      私「果糖はショ糖(一般的な砂糖)に比べて甘みが強く、特に水温が低い時ほど甘みが増すんだよ。人間の舌は冷たいときに甘みを感じにくいから、果糖は炭酸飲料に加えられているんだ。炭酸が抜けたり、ぬるくなったりしたジュースを飲んだ時にめちゃめちゃ甘く感じるでしょう。」

       

      生徒「炭酸ジュースは飲まないので分からない。」

       

      私「あぁ、そう……ね。」

       

      家庭の方針で炭酸飲料や駄菓子が買い与えられないとのこと。もちろん、人それぞれに事情と考え方がありますから、ご家庭の方針にとやかく言うつもりはありません。ただ、ジャンクフードであってもテレビや漫画であっても幅広くものを知っていると、学習した内容が、点に散らばっている経験や知識をつなぎ、面の理解に広がります。「ああ、あれはこういうことなのか。」という瞬間が多いほど理解は自分のものとして習得されます。

       

      勉強とは、見識を広げ考える力を身につけることにより内面を豊かにするものです。教科書やテストの世界だけが勉強ではありません。学んだ知識は、日常の経験や見聞と結びついてこそ生きた知識となります。勉強で学んだことが身のまわりのどんなことに繋がっているのか、子どもたちは、そのつながりを知れば、好奇心を抱き、さらに知りたい勉強したいと思えるようになるでしょう。親からしたら害悪と思える俗な遊びや駄菓子やテレビも幅広い見聞の一部となり、学びの引き出しとなりますから、何でも経験しておいてほしいものです。

       

      子どもの頃に食べた関西の味と久々に遭遇

       

       

      理科塾|探究で思考力を高める 理科実験&国語の専門塾

      https://rika-jyuku.com

       

       

       

      category:勉強のコツ | by:理科塾comments(0) | -

      数字や形に見えないから価値がある

      2019.12.13 Friday 13:47
      0

        TBSドラマ「G線上のあなたと私」は、同局で話題となった「カルテット」の再来と一部のネット民の間で囁かれているそうです。大人のバイオリン教室で知り合った、年齢も立場もまちまちな3人の生徒を中心に繰り広げられる心の動きや人間模様が繊細で共感を呼びます。私は仕事柄、塾や教室を舞台としたドラマを好みがちで、毎週火曜日が待ち遠しくなる"G線”は今年のマイヒットです。

         

        終盤に差し掛かった第8回では、バイオリン教室の眞於先生が、手の持病の再発によりプロへの道を挫折し、バイオリン教室も退職してしまいます。失意の底にいた眞於先生は退職の日にボイスレコーダー付のチューナーを手渡されます。そこに録音されていたのは、3人の生徒がプライベートコンサートを開催した際に、主人公小暮也映子が話したスピーチと、3人が演奏した"G線上のアリア”でした。

         

        『大人のバイオリン教室は、いろんな人がゆるっとふわっとバイオリンだけでつながっている場所なので、上手くなったところで何の役にも立たないし、別にどうしても続けなきゃいけないとか、そんなこともない。仕事や学業が忙しくなったり、家族に何かあれば、まず一番最初に生活から消える。そういうものです。

        …(中略)…

        でも、少なくとも私は、眞於先生のバイオリンが大好きで、先生のおかげでここまでこれた。きっと、私はこの先たとえバイオリンを続けてなかったとしても、何度も何度も先生が出会わせてくれた音楽に救われると思います。眞於先生は、私にそういうものをくれました。』(原文のまま)

         

        録音された也映子のスピーチを教室の片隅で聞き入る眞於先生、『まさか、こんなことになるとは思わなかった。私、救われてしまいました、あの3人のバイオリンに。』と言い残し、教室を去ります。

         

         

        私が生徒に伝えたい学びは、理科実験の試行錯誤や考察を通して育む探究する姿勢や思考する力です。このような姿勢と能力は、テストの点数UPや合格のような目に見える成果と異なり、一朝一夕で身につけられる訳ではありません。常々、生徒や保護者には、「興味・思考力・行動力を育むには、継続が必要であり、時間がかかります。教室の外でも科学への眼をもって行動するなど、長い視点で成長を捉えてください。」と話しています。とはいうものの、教えている私自身も、目に見えにくい成長をどうしたら生徒に実感させられるのか、理科実験から学ぶ意義と学ぶ面白さを生徒に与えられているのか、と自問自答する毎日です。

         

        それでも私がこの仕事を好きでいられたのは、生徒や保護者の方から掛けてもらった何気ない言葉のおかげです。「理系分野に目標を見つけて行きたい高校を決めた。」・「日常の中で科学の存在に意識が向くようになった。」・「家族ぐるみで科学の話が食卓の話題に上がっています。」等々。また、在籍していた生徒たちの成長した今を知った時、僅かでもその成長の通過点に関われたかもしれないと、勝手に救われています。(もっとも、教え子たちは、裕福な家庭環境に育ち優秀揃いであり、本人たちの努力によって成長できている訳で、私は彼らの一助にすらなれたかどうか分かりません。)

         

        塾の経営者として目に見える成果は、売り上げや利益です。私も家族を養い生活していかなければなりません。また、経営者である以上、教室を軌道に乗せることが現実世界で迫られた責務です。しかし、私が、子どもたちに成長の核となるような"好き”や"気づき”を与えられていると実感できる瞬間が私の生きる糧でもあります。

         

         

        人は、目に見えて分かりやすい数値や形を目標とすることで安心してしまいがちです。学生ならば、テストの点数や受験合格を追いかける、部活で勝利至上主義に傾倒する。社会人であれば、売り上げや利益を追いかける。上司からの評価や出世を追い求める。いずれも現実世界で迫られた必要ですが、それらは例えると車とガソリンのようなものです。性能の良い車と満タンのガソリンを用意できても、どこに向かって何のために車を運転するのか、ドライバーが目的と意志を持たなければ幸せなドライブはできません。勉強の中に面白さを発見する。目標を見据えた勉強がある。勝利に向かうプロセスの中に競技への愛情や向上心を抱く。お客の信頼と満足を得る。ビジネスを通して社会への創造や変革を築く。どんな自分になりたいのか、何を好きで大切にしたいのか。本当に価値のあるものは数字や形で見えにくいところにあるものです。

         

         

        理科塾|探究で思考力を高める 理科実験&国語の専門塾

        https://rika-jyuku.com

         

        category:塾経営の独り言 | by:理科塾comments(0) | -

        科学実験に渦巻く幻想と誤解―理科実験を学ぶ意義―

        2019.11.05 Tuesday 15:55
        0

          「理科実験を専門とする塾をやっています」と話すと、おおよそ以下のような反応をいただきます。「面白そうですね。楽しそうですね。」「子ども(小学低学年or未就学児)にやらせてみたい。」「科学実験のお楽しみイベントをやったらいいね。」etc.…。もちろん、みなさん好意的に受け止めて声をかけてくださっているので、これらのお声をありがたく頂戴しています。ただ、心の中である想いがこみ上げてきます。それは、理科実験から連想される世間のイメージと理科実験のあるべき本質とが乖離している風潮に対する憂いです。

           

           

          ■科学実験は日常や学習と切り離された体験型娯楽?

           

          科学実験はバラエティー番組で恰好のネタになります。キャラ立ちする専門家による科学ショーは、ちょっとした不思議を面白おかしく解き明かしてくれます。タレントさんがプロのリアクションでショーを引き立て、お茶の間に「へぇ〜」の旋風を巻き起こします。こうしたバラエティー番組自体は分かりやすく楽しい内容です。

           

          バラエティ番組の科学ショーが生み出した科学実験のイメージは、子どもたちをドキドキわくわくさせる素材に合致します。昨今は子どもを対象とした科学イベントがあちらこちらで開催されるようになりました。こうした科学イベントは、子どもたちの科学への興味を引き出す入り口として一定の役割を果たしており、ともすれば、小難しくて嫌煙されがちな科学を日かげから日なたの存在へ引っ張り出すことに成功しました。

           

          幼い子どもたちが科学実験に胸躍らせる姿は、大人をほっこりさせるし絵にもなるでしょう。けれども、経験値が低く論理的思考力と学力の土台が未発達な子どもたちは、科学実験の現象を感覚的に楽しめても体系的な理解を得るに至りません。そこで、科学実験は驚きと楽しさを伝道する手品のような娯楽と化します。科学実験に興じた子どもたちが中高生になり、「実験は好きだけれど理科や数学は嫌い」・「理科や数学が世の中の何の役に立つのか分からない」と捉えてしまう現実は残念でもったいない限りです。こうした子どもたちにとって科学実験は非日常世界のものであり、教科書や受験勉強とは無縁のものと認識されてしまっています。これは子どもたちに限ったことではなく、保護者をはじめ世間にも当てはまります。科学実験が日常や学習と切り離されたエンターテイメントに終始するほどに、理科実験の本質が置き去りにされている気がしてなりません。

           

           

          ■科学は日常世界と隣り合わせの存在

           

          日常には科学が溢れています。気候・生活・仕事において意識するしない関わらず、私たちは科学現象に囲まれ、科学技術の恩恵を授かりながら生活しています。

           

          例えば、料理で言えば、調味料を入れる順序で有名な「さしすせそ」は浸透圧や分子の大きさで説明ができます。気象で言えば、ガラスの曇りをとる術や朝霧が立ち込める理由の説明には、気温差における飽和水蒸気量の知識があれば対処できます。他にも、濡れた髪の毛を速く乾かすにはドライヤーの熱に頼るのではなく風を上手にあてるのが有効だとか、相撲では相手の押してくる力の反作用を利用すると小柄な人でも勝てるとか、加熱用カキと生食用カキの区別が鮮度の違いによるものではなく養殖場の場所の違いによるものであり、それはプランクトンと海に流入する養分における食物連鎖が関係しているとか、酸化チタンなどの光触媒技術を利用した外壁材は建物の耐久性を向上させ外壁の退色も防いでいるなど、例を挙げるときりがありません。

           

          科学は日常とは別世界にある特別で小難しいものではなく、日常の世界の森羅万象を解明し、社会を革新させるものです。

           

           

          ■理科実験で培われるのは忍耐力と日常に応用できる思考力

           

          理科実験が他の教科と異なる点は、机上の思考ではなく五感を生かした実践的な思考を要することです。というのも、理科実験を行う上で失敗する場面や思い通りにならない場面で求められる試行錯誤という行動は思考の舞台を作り上げるからです。

           

          例えば、理科のテスト問題で【 】のような条件文言を見たことがあると思います。

           

          同じ直径の鉄球と木球を高さ50僂涼賄世ら同じ斜面に転がした時、ゴールに速く到着するのはどちらの球か?

          【ただし、摩擦や空気抵抗は考えないものとする。】

           

          教科書やテスト問題上の正解(つまり、机上の正解)は、《鉄球も木球も同時に到着する》です。球の質量は落下速度に関係しないからです。しかし、実際に実験を行ってみると僅かに鉄球が先に到着します。これは、斜面と球の摩擦および球が受ける空気抵抗によって誤差が生ずるためです。では、誤差を最小化して理論通りに近づけるにはどうしたらよいのか。斜面の素材を変更するか?球の径を小さくするか?真空装置の中で実験を行うか?原因を探り、こうするといいのではと仮説を立て、改良を施して再検証する。こうした試行錯誤を行う中で思考を練り理解を深められるのです。

           

          科学の原理原則は論理的であるからこそ、問題の原因を探ったり解決方法を導いたりする上で論理的思考力が養われます。日常に応用できる論理的思考力は“理科"という教科を通して習得されるべき力であり、“理科”という教科が存在する理由です。実験検証は、仮説に基づき条件を変えながら繰り返し実験を行う地道な活動です。僅かな結果の差異に着眼する。仮説や理論との整合性が取れなければ原因を探り解決策を練る。観察力・洞察力・創造力・忍耐力を駆使して主体的に理科実験と対峙する。理科実験の本質は、科学実験ショーや成功のお膳立てをされた科学実験体験のようなレールに乗せられている立場では学べません。

           

           

          ■理科実験で培われる思考サイクルはすべての教科に通じる

           

          理科実験のような体験型学習は受験と無縁だと捉えられがちです。受験や定期テストというハードルを前にして、多くの受験生と保護者に選ばれるのは理科実験塾よりも受験対策や定期テスト対策を対象にした学習塾です。受験で必要とされる学力は、その場限りの知識と解き方の詰め込みではなく、筋道立てて解答を導く考え方です。しかし、学習塾に通う多くの生徒が陥りがちな症状は受験対策への最適化であり、彼らが論理的思考力を醸成することはありません。(もちろん、学習塾においても学びの本質を理解し思考力を向上させられる生徒もいます。)論理的な考え方は一朝一夕で身につきませんから、普段から何らかの活動を通して思考する癖を身につけるほかありません。理科実験や理系進学に関心を持てる人ならば、理科実験は思考する癖を習慣づける最適な素材の一つです。

           

          情報を分析して、解決法を構築した上で、効率的に説明(実証)する。これは理科実験で行われる思考サイクルですが、英語・数学・国語などの教科でも同様の思考サイクルが必要とされます。

           

          例えば、英語の長文解釈問題を解く時は、文節単位で係り受けを考え整理する《情報を分析》⇒日本語訳を組み立てる《解決に向けた構築》⇒問題の条件と字数制限に合わせて分かりやすく要約する《効率的な説明》という思考サイクルが要求されます。

           

          数学で言えば、二次関数の問題を解く時は、問題文とグラフを読み込み情報を整理する《情報を分析》⇒知りうる法則と知識を総動員して解法を組み立てる《解決に向けた構築》⇒場合分けなど順序立てて解答する《効率的な説明》という思考サイクルが要求されます。

           

          受験は知識とハウツーの詰め込みで乗り越えられると思われがちですが、出題者が問いたいのは考え方と表現方法です。もちろん、知識の習得は必要ですが、知識は考え表現する際の道具と部品です。受験問題では知識を知っているか否かを問われているのではありません。知っている知識をどの場面でどのように活用するのかが問われています。暗記ばかりの勉強をしても一定の点数より向上しないのは、思考のサイクルが身についていないからです。

           

           

          ■好きを伸ばして将来を切り拓く面白さ

           

          人は好きな道に出会い没頭すると、必要な技術や学問を習得して、さらにその道を究めようとします。子どもたちが自主的に勉強に取り組み成長するには、周囲から与えられた勉強ではなく、自ら見つけた"好き”が近道となります。そうは言っても、ボサーっと過ごす我が子に「勉強しなさい。○○しなさい。」と口うるさくなってしまう親御さんの気持ちは分かります。我が子を案ずる親御さんに聞いていただきたい「好きを自己成長力に変えた高校生の実話」があります。

           

          自動車レースF1の世界に単身飛び込み、現在ハースF1チームのチーフレースエンジニアとして活躍する小松礼雄(あやお)さんの遍歴をお話しします。チーフレースエンジニアとはチームの戦略やマシンセッティングを統括するトップエンジニアで、チーフ職は各チームに一人しかいません。(現在のF1は全10チームなので、F1のチーフエンジニアは世界に10人しかいません。ちなみにF1ドライバーは各チームに2人ずつ在籍しているので計20人となります。)欧米人が幅を利かせるF1レースの世界では、ホンダのような日本のメーカー絡みを除けば、日本人が単独でエンジニアリングやチーム運営の世界に身を置くことは稀です。

           

          小松さんは自身を“文系出身のエンジニア”と称しています。というのも、高校時代は数学の偏差値は30台で英語も全く話せなかったからです。高校卒業を控えて「F1のエンジニアになるためイギリスに行く」と決心したのですが、先生には相手にされず、友人には馬鹿にされたそうです。しかし、単身渡英し、大学予科学校や英語学校に通い英語力を身につけながら、自動車工学で有名なラフバラ大学に入学します。英語も数学も苦手だった小松さんが、大学卒業時には自動車工学専攻において主席に次ぐ2位の成績を修めます。大学院では実践的な機械工学を習得し、卒業後念願だったF1の世界に職を得ます。F1エンジニアの世界とは、優秀な学校を卒業しエリート意識が高い理系人間が集う場所です。そうした世界において、“文系出身エンジニア”を自負する小松さんは、コミュニケーション力を生かし、データ分析が主流になったF1の世界において現場感覚を重視した柔軟な仕事ぶりで実績を築き上げていきます。やがて"エンジニア小松”の名は知られるところとなり、現在の地位に上り詰めます。

           

          小松さんは高校大学時代を振り返り、「高校では物理や数学が何の役に立つのか分からなくて、ぜんぜん面白くなかった。イギリスに留学してからは物理や数学の意味と目的が分かり、学ぶことが楽しくて仕方なかった。」と語っています。

           

          理科実験に話を戻します。理科実験の活動に没頭し科学への興味を増すと、科学と社会のつながりを意識し、目標を抱けるかもしれません。進路を見据えた時、必要な教科に意味を見出すでしょう。小難しい化学式もそれが何の役に立つのか、何を意味するのかを理解できるでしょう。理科との関連が強い微分積分や三角関数や統計学を学ぶ必要性も実感できるでしょう。大学での研究では文献や論文を読みこなしたり、研究発表したり、海外の機関と共同研究したりしますから、国語力と英語力を身につける必然にも行き当たるはずです。社会の課題を知ることで研究の方向性を見出せます。

           

          好きな道から学びの楽しさと意味を知る。受験の為や学校の成績の為と用意された教科をこなすのは面白くなくて当然です。思春期の子供たちが、一点の好きから学びを広げる面白さに気づける環境こそ、大人が思春期の子供たちに用意するべきではないでしょうか。科学に好奇心を抱ける中高生が、理科実験をお楽しみイベントとしてではなく探究力を養える学びとして捉えられるように理科教育を広めていかなければなりません。

           

           

          中学から理系を目指す理科実験&国語専門塾|理科塾

          https://rika-jyuku.com

           

           

           

          category:科学探究学習のススメ | by:理科塾comments(0) | -

          筆算の定規直線問題から考えるノートの使い方

          2019.10.03 Thursday 13:40
          0

            ■筆算の定規直線問題にみる教育の慣習

             

            『筆算の直線を定規で引かなかったらやり直しを命じられた』福岡の小学5年生に起きたエピソードが新聞に取り上げられ、ネット上で話題になっています。学習の目的と手段を取り違えている“学校あるある”の典型的な例だと思います。批判の矛先は先生の指導内容に向けられているようですが、教育における慣習に対して疑問を抱かない空気は、子も親も含めて社会全体に蔓延しています。筆算直線主義の先生も小学生だった時に同様な指導を受けてきたのでしょう。

             

            私も中学生の頃を思い返すと、毎日提出を義務付けられた数英の課題ノートを"美しく”書くことに注力していました。色ペン・蛍光ペンを駆使してきれいに書きあげると課題を“ちゃんと”こなしたアピールになるのです。きれいに書く⇒先生に評価される⇒内申点へつながる。こんな図式が課題ノートにはありました。しかし、ノートは誰かに見せるためではなく、自分の理解向上のために利用されなければなりません。ちなみに、英語が得意科目だった私にとって理解しきった内容をわざわざ課題ノートに記す必要などなく、課題ノートは作業そのものでした。

             

             

            ■ノートを作品化させる指導は間違っている

             

            ノートの取り方・使い方を教えること自体に問題はありません。ノートの基本的な使い方はありますし、小学生ならばマス目や罫線の利用方法を教えてしかるべきです。ただし基本的な使い方を超えては、各生徒がやりやすい方法を見出せば良いのです。『こういう方法もあるよ。』とか『こうするといいよ。』とかいった程度の指導で充分です。勉強の理解を捗らせる上でノートは目的ではなく、手段であるからです。

             

            しかし学校現場では、"美しくまとめられたノート=理解が深まる”信仰は根深く、画一的な方法を強要する事例が多く見受けられます。「紙がもったいないから、マス目は隙間なく書きなさい。」・「途中式やメモ書きを消して答えのみを丁寧に書きなさい。」本気ですか?と言いたくなります。資源は大切ですが、節約する場所を間違えていませんか。ノートなんて何冊だって買ってあげるからどんどん書き込みなさい。後述しますが、途中式やメモ書きこそノートの醍醐味ですので、消す作業は時間と消しゴムの無駄です。

             

             

            ■マルを目標にしてはいけないーノート作品化指導に翻弄される子どもたち―

             

            ノートをきれいに仕上げる指導が目的化されると、ノートは清書でなければならないという意識が子どもたちに植え付けられます。途中式やメモ書きを極力書かず、書いた内容に間違いがあれば消し、問題を解くことよりも綺麗に見せることに神経を払うようになります。出来上がったノートは字の上手さを除いて皆同じとなり、問題と答えがきれいに並びます。こうなると厄介なのは、答え合わせでバツがつけられた時に間違えた答えを消してからやり直す癖がつくことです。バツはノートの秩序を乱すから排除する。そんな意識が芽生えてしまうと、頑張ってノートを仕上げた割に学習効果が上がらなくなります。

             

            バツには勉強の種がつまっています。バツは、どうして間違えたのか・どこを考え違えたのか・自らの弱点はどこかを知る手がかりです。やり直す時はバツをそのままにして、その横や下にもう一度問題を書いてやり直せばいいのです。そもそも途中式やメモ書きを書き記していなければ間違いの原因も分かりませんが…。子どもたちが、計算問題や漢字の書き取りでバツをつけられることを嫌い、〇マルが並んだノートにしたり顔するようでは本末転倒です。

             

             

            ■ノートは頭の中に浮かんだ考えの筋道を記すもの

             

            ノートとは、答えを導くための筋道を書き留めるために使われるものです。例えば数学の問題では、A=B・B=CゆえにA=Cという三段論法のように、解答に辿り着くまでの論理が求められます。問題から与えられた情報を図や表に落として頭の中を整理する。考えた論理を式と言葉で理路整然と組み立てる。そこで頭の中に浮かんだ考えを視覚化させる道具がノートです。したがって、ノートを清書のように仕上げる必要はありません。どんどん書いて考えが行き詰ったら次のページから仕切り直せばいい。極論を言えば、ノートは自分だけが理解できれば良いものでもあります。

             

            耳にした話では、東大生が書くノートは汚いものが多く、“清書ノート”とは程遠いとか。(私はきれいに書いてますという東大生には失敬…。)つまりは、問題を解くにあたり筋道を立てて考える習慣が身についており、勉強とノートの使い方における本質を理解していると言えます。

             

            多くの小中学生は、一問一答的な問題を好む一方で、算数の文章題や数学の証明問題になると手も足も出なくなります。現場に立つ先生なら誰でも実感しているでしょう。こうした実態もノートを美しく書く指導が手段ではなく目的と化した弊害なのかもしれません。ノートとは何のために使うのか、ノートは頭の中の軌跡であると小中学生の頃から教えていけば、考える習慣が身についてくるのではないでしょうか。

             

             

            category:勉強のコツ教えます | by:理科塾comments(0) | -