人の気配を感じる繋がり

2018.10.12 Friday 17:56
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    ネットやスマホが広まり始めた頃からだろうか、リアルな人のつながりが希薄化する一方で、人とのつながりを求めて自己承認欲求を満たそうとSNSの世界に没頭する人が増えたのは。

     

    人は誰しも人と関わりながら生きている。学校であれば、クラスメート・先生・用務員さん・緑のおばさん。職場であれば、上司・同僚・後輩・取引先。いや、そんな密な集団の人だけではなく、贔屓に立ち寄るお店の店員や駅のホームで毎朝一緒になる人もそう。それぞれの人に人生と営みがあり、関わり方の濃淡はあれど、自分の人生と交差している。

     

    住まいの場に目を向けてみる。お隣りから聞こえてくるテレビの音やミシンの音、同じ時間に響くドアの開閉音や車のエンジン音、2階の窓から漏れる明かり、台所から漂う香り。「今日も朝早くからお仕事なのね。」「向こうもワールドカップで盛り上がってるね。」「今夜は肉じゃがかな。」なんて想像を巡らす。ご近所から運ばれる音やにおいなどは日常の生活に溶け込む空気のようなもの。顔を合わさずとも、言葉を交わさずとも、そこに同じ人がいて、今日も変わらぬ一日を過ごしている安心を抱く。時に会えば言葉を交わし、互いの様子や変化を窺い知る。こうした時間が一年また一年と積み重なり、やがて子が育ち、家族のかたちが変化していく。互いに齢を重ねていく程に、街の様相も移り変わっていく。

     

    何気ない人の気配に包まれながら、人は人と関わり、社会の中に身を置くことができる。デジタルな世界では感じられない人とのつながりがそこにあった。

     

    当たり前の日常に終止符が打たれた時、時代の流れに気づかされ、安心を得ていた気配の喪失に立ちすくむ。互いの変化と歴史を空気のように共にしてきたからこそ、十数年と時を隔てていても彼の言葉に心がすこぶる共振した。

     

    ここに、しきれぬ感謝の意を込めて。

     

     

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