内申点という魔物―それでも内申評価制度があるわけ―

2018.12.28 Friday 11:00
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    第2回コラムでは、内申点評価を軸として中学生活が送られることの弊害について述べました。古今東西を問わず、なぜ内申点評価が公立高校入試に幅を利かせ続けるのか。内申点について考えるシリーズ第3回は、内申点評価制度が公立高校入試に果たす役割について述べていきます。

     

     

    ■高校浪人はご法度である

     

    周知のとおり義務教育は中学校で終了します。しかし実際のところ、中学卒業で社会に巣立つ生徒はほとんどおらず、中学から継続して高等学校へ学びの場を移します。この継続した中等教育を実現するにあたり、高校浪人を生み出すことは避けなければならなりません。

     

    受験という意味で比較するものに大学受験があります。大学は専門性を磨く高等教育機関であるため、高校からの継続性を保つことが重要ではありません。学びたいことがあれば、何歳であっても、2度目の大学入学であっても、本人の自由意志と責任において受験することが可能です。

     

    しかし、高校は事実上中学から継続する教育機関であるため、受験を失敗することは、生徒への様々なリスクが想定されます。例えば、全日制を希望する生徒が高校入試を全滅したとします。この生徒は明日からの在籍校がない事実をどのように受け止めればよいのでしょうか。この事実は、15歳の生徒にとって精神的な苦痛と責任能力の点で荷が重すぎます。どの高校を受験するかは本人の自由です。しかし、一般的に15歳の生徒は経験値が低く、見通しが甘い判断をしてしまいがちです。(藤井聡太君のような聡明で大人びた15歳であれば当てはまらないかもしれませんが。)15歳の生徒が将来の選択を行うことは自己責任だと周りの大人が突き放すことはできません。

     

    内申点評価制度があることで、生徒は自身の日頃の評価から入れそうな高校を相対的に把握できます。

     

    一方で、客観的な模試の成績から実力を把握し、大学入試のように当日の入試だけで合否を決する制度も可能ではあります。(実際に千葉県立千葉高校で実施されています。)この制度の問題点は、内申点が高くなくても実力一本でチャレンジを試みる者が現れることです。入学定員がある以上、不合格者は必ず発生します。確実な滑り止めとなる私立高校を複数受験しておくことがチャレンジの担保となるでしょう。前述した千葉高校のようなトップレベルの高校を受験しようとする成績上位者にとっては、滑り止めとなる私立高校の選択肢が存在します。しかし、同様の制度を中堅下位の高校に適用した場合、中堅下位層の受験者にとっては、滑り止めの選択肢が少なく全滅という危険が発生します。

     

    内申点評価制度は絶対的保証ではないものの、ある程度の“内定”を約束する通行手形のような役割を果たしています。翻して進路指導を行う中学校側から捉えると公立高校へ偏りなく生徒を振り分ける指標としての役割もあります。やはり、中学から高校へ円滑に生徒を送り込むために内申点評価制度は不可欠だということなのでしょうか。内申点評価制度について異なる視点から考えてみましょう。

     

     

    ■公立高校が求める生徒像とは?

     

    高校側の視点から入試を捉えてみましょう。そもそも入試とは、どのような特徴や能力を持った生徒に入学してもらいたいかを学校が受検者へ向けて発信するメッセージです。例えば、グローバル教育を自負した高校があるとします。英語力はもちろんのこと、ディスカッション力や問題意識を持つ生徒に集まってほしいと考えるはずです。この場合、高度な英語問題・問題解決力を問う小論文問題・グループディスカッション型の面接を用意して、この3分野を高配点とする方法が有効です。高校の特色と個性が入試問題の問い方に表れます。

     

    こうした入試の在り方は私立中学入試や大学入試の世界で顕著です。早稲田大学政経学部では、私大文系として一般的である国語・英語・社会(選択として数学)の3科目に加えて、数学を必須化する動きが出ています。経営的な理由として、地方からの受験生増加を狙い地方国公立大学との併願を容易にする意味もあるようです。しかし、トップリーダーを養成する教育機関としての理由もあります。経済学では文系と言えども統計学などの高度な数学が必要となります。論理的思考力がリーダーの能力に求められる時勢において政経を目指す受験生には数学を勉強してきてもらいたい、という大学からのメッセージでもあります。ライバルの慶應義塾大学経済学部が以前より数学を積極的に入試に取り入れていることでも、経済学を学ぶ学生の数学力を重視していることが窺えます。

     

    以上のことを踏まえて、公立高校入試ではどのような学校の意思表明がなされているのか考えてみましょう。埼玉県では入試問題の内容は全校共通ですし、各教科100点×5教科の500点満点の配点もほぼ全校同一です。内申評価(調査書)は5点×9教科(中1〜中3)+特別活動等の記録の得点+その他の得点から構成されており、こちらも各高校おおよそ同じ仕組みです。学校ごとの違いといえば、内申評価点に係数を乗じることにより、入試問題点と内申評価点の比率に多少の変化を持たせていることくらいです。

     

    入試の問題量は標準的で、奇問難問はなく教科書レベルの難易度です。つまり、成績上位者ほど差がつきにくい入試問題ということになります。合否が左右される上で、実質的に成績上位者ほど内申評価の存在感が増します。第2回コラムで述べてきたように、内申評価において有利なのは、学内の成績に偏りがなく、学校生活の態度および部活動その他活動において“求められた正解”を出してきた生徒です。いかがでしょうか、公立高校が求める生徒像が見えてきたでしょうか。

     

     

    ■内申評価が子どもの選択肢を奪う

     

    ずいぶん昔に私が塾講師をしていた頃の話です。塾では学校と違い、行事や集団行動といった生徒の生活面の様子を見ることがありません。(もちろん生徒の性格や個性は掴み取ります。)塾は勉学面をサポートする場ですから、生徒への思い込みはなく、生徒の学力に対する純粋な素養を感じとることができます。本質的な理解の速さ・インプットした知識をアウトプットに変換できる能力・論理的な発想力など、生徒毎に能力の特性がよく見えます。

     

    私の教え子にとても学力の素養を感じる男子生徒がいました。彼は、本質の理解が良く考える力が高かったので、一教えると十くらいを吸収できるタイプです。当然トップクラスの公立高校に進むものだと思っていたのですが、内申点はオール4程度で、中堅上位クラスの高校をなんとか受験できる状況でした。実力と内申点のギャップを不思議に感じ、彼に「なぜ内申点が低いのか」と聞いたところ、その答えに驚きました。「体育教師とそりが合わず、ずっと“1”をつけられている。他にもそりが合わない教師がいて、定期テストの点数に関わらず“3”がつけられている。」というのです。決して彼は素行不良だとか、悪態をつく生徒ではありません。むしろ、冷静沈着で大人びているタイプです。運動は不得意ではあるのですが、通常それだけで“1”がつくことはあり得ません。(当時の内申点は相対評価法でした。)どうやら彼は、管理主義万歳!筋肉体育会系の教師に好かれていないようなのです。結局、彼の希望が大学進学と自分のペースで勉強ができる環境ということだったので、私の勧めで電車で片道1時間くらいの場所にある、中堅上位校の中でも自由な校風と伝統がある高校に進学しました。

     

    彼とは逆に、内申点がオール5に近い評価ほどには本質的な理解がそれほどでもない生徒もいました。このタイプの生徒は、基本問題をセオリー通りに解くことはできますが、応用問題となると閃きが弱く歯が立たなくなってしまうことがあります。性格は明るく素直でとても人懐っこいので、先生に好かれそうなタイプです。内申点が満点に近く、受検校は選び放題でしたので、トップの公立高校へ難なく進学しました。

     

    内申評価と実力は必ずしも相関しません。そして、主観的な内申評価がつけられた時、15歳の子どもの進路にもたらされる影響をどのように受け止めればよいのでしょうか。ちなみに、いずれの生徒も、休まず私の授業を一生懸命に聞いてくれた思い出に残る教え子たちです。

     

     

    次回からは、内申評価が“頭の良し悪し”を潜在的にカテゴライズする危険について述べていきます。

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