筆算の定規直線問題から考えるノートの使い方

2019.10.03 Thursday 13:40
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    ■筆算の定規直線問題にみる教育の慣習

     

    『筆算の直線を定規で引かなかったらやり直しを命じられた』福岡の小学5年生に起きたエピソードが新聞に取り上げられ、ネット上で話題になっています。学習の目的と手段を取り違えている“学校あるある”の典型的な例だと思います。批判の矛先は先生の指導内容に向けられているようですが、教育における慣習に対して疑問を抱かない空気は、子も親も含めて社会全体に蔓延しています。筆算直線主義の先生も小学生だった時に同様な指導を受けてきたのでしょう。

     

    私も中学生の頃を思い返すと、毎日提出を義務付けられた数英の課題ノートを"美しく”書くことに注力していました。色ペン・蛍光ペンを駆使してきれいに書きあげると課題を“ちゃんと”こなしたアピールになるのです。きれいに書く⇒先生に評価される⇒内申点へつながる。こんな図式が課題ノートにはありました。しかし、ノートは誰かに見せるためではなく、自分の理解向上のために利用されなければなりません。ちなみに、英語が得意科目だった私にとって理解しきった内容をわざわざ課題ノートに記す必要などなく、課題ノートは作業そのものでした。

     

     

    ■ノートを作品化させる指導は間違っている

     

    ノートの取り方・使い方を教えること自体に問題はありません。ノートの基本的な使い方はありますし、小学生ならばマス目や罫線の利用方法を教えてしかるべきです。ただし基本的な使い方を超えては、各生徒がやりやすい方法を見出せば良いのです。『こういう方法もあるよ。』とか『こうするといいよ。』とかいった程度の指導で充分です。勉強の理解を捗らせる上でノートは目的ではなく、手段であるからです。

     

    しかし学校現場では、"美しくまとめられたノート=理解が深まる”信仰は根深く、画一的な方法を強要する事例が多く見受けられます。「紙がもったいないから、マス目は隙間なく書きなさい。」・「途中式やメモ書きを消して答えのみを丁寧に書きなさい。」本気ですか?と言いたくなります。資源は大切ですが、節約する場所を間違えていませんか。ノートなんて何冊だって買ってあげるからどんどん書き込みなさい。後述しますが、途中式やメモ書きこそノートの醍醐味ですので、消す作業は時間と消しゴムの無駄です。

     

     

    ■マルを目標にしてはいけないーノート作品化指導に翻弄される子どもたち―

     

    ノートをきれいに仕上げる指導が目的化されると、ノートは清書でなければならないという意識が子どもたちに植え付けられます。途中式やメモ書きを極力書かず、書いた内容に間違いがあれば消し、問題を解くことよりも綺麗に見せることに神経を払うようになります。出来上がったノートは字の上手さを除いて皆同じとなり、問題と答えがきれいに並びます。こうなると厄介なのは、答え合わせでバツがつけられた時に間違えた答えを消してからやり直す癖がつくことです。バツはノートの秩序を乱すから排除する。そんな意識が芽生えてしまうと、頑張ってノートを仕上げた割に学習効果が上がらなくなります。

     

    バツには勉強の種がつまっています。バツは、どうして間違えたのか・どこを考え違えたのか・自らの弱点はどこかを知る手がかりです。やり直す時はバツをそのままにして、その横や下にもう一度問題を書いてやり直せばいいのです。そもそも途中式やメモ書きを書き記していなければ間違いの原因も分かりませんが…。子どもたちが、計算問題や漢字の書き取りでバツをつけられることを嫌い、〇マルが並んだノートにしたり顔するようでは本末転倒です。

     

     

    ■ノートは頭の中に浮かんだ考えの筋道を記すもの

     

    ノートとは、答えを導くための筋道を書き留めるために使われるものです。例えば数学の問題では、A=B・B=CゆえにA=Cという三段論法のように、解答に辿り着くまでの論理が求められます。問題から与えられた情報を図や表に落として頭の中を整理する。考えた論理を式と言葉で理路整然と組み立てる。そこで頭の中に浮かんだ考えを視覚化させる道具がノートです。したがって、ノートを清書のように仕上げる必要はありません。どんどん書いて考えが行き詰ったら次のページから仕切り直せばいい。極論を言えば、ノートは自分だけが理解できれば良いものでもあります。

     

    耳にした話では、東大生が書くノートは汚いものが多く、“清書ノート”とは程遠いとか。(私はきれいに書いてますという東大生には失敬…。)つまりは、問題を解くにあたり筋道を立てて考える習慣が身についており、勉強とノートの使い方における本質を理解していると言えます。

     

    多くの小中学生は、一問一答的な問題を好む一方で、算数の文章題や数学の証明問題になると手も足も出なくなります。現場に立つ先生なら誰でも実感しているでしょう。こうした実態もノートを美しく書く指導が手段ではなく目的と化した弊害なのかもしれません。ノートとは何のために使うのか、ノートは頭の中の軌跡であると小中学生の頃から教えていけば、考える習慣が身についてくるのではないでしょうか。

     

     

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    科学実験に大活躍!国民的清涼飲料水

    2019.07.22 Monday 15:37
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      タイトルを見て「あのドリンクのことか」とピンと来た人は科学好きですね。そう、イオンサプライ、ポカリスエットです。1980年に発売されて以来、日本中で飲まれ続け、2008年には累計発売本数が300億本に達した国民的清涼飲料水です。

       

       

      ■小学生には難しくて高嶺の花だったポカリスウェット

       

      80年代に小学生だった私がポカリスウェットを初めて口にした時の衝撃は、今でも記憶に残っています。甘さは感じるものの、はっきりしない水のような味…。当時、小学男子たちが虜になっていた飲料と言えば、王道のコカ・コーラをはじめてとしてファンタ・スプライト・アンバサダー・メローイエローなど鮮やかな色合いに甘くてパンチの効いた味の炭酸飲料でした。ポカリスウェットは、王道に反して無炭酸で薄い乳白色です。しかも、ブルーを基調としたデザインの245ml缶の値段がコカ・コーラなどよりも20円高く、小学生が自販機のボタンを押すには躊躇いがありました。そんなポカリスエットが本格的スポーツ飲料として認知され始めると、私の通っていた小学校では水筒の中身としてポカリスウェットが許可されるようになりました。スポーツ系男子たちは、粉末を水に溶いたポカリスウェットを水筒に入れてくるようになり、麦茶しか注いでもらえない同級生から羨望の眼差しを向けられたものです。

       

      微妙な味と高めの価格、発売当初、小学男子に支持されなかったポカリスウェットがスポーツ飲料としてお堅い学校にも認められるようになったのは、飲料としての立ち位置が一般的な清涼飲料とは異なっていたからです。

       

       

      ■ポカリスウェットは"汗の飲料”―開発秘話ー

       

      ご存知のようにポカリスウェットを開発したのは大塚製薬です。製薬会社の発想らしく、新飲料開発の原点は"飲める点滴薬”を作ることでした。点滴薬はブドウ糖液糖を主成分に必要な薬剤が混合されています。ブドウ糖は単糖類といって消化を必要とせず、血管から体内に直接吸収される炭水化物です。ブドウ糖は、病人が素早く栄養補給するのに適しているため、"飲める点滴薬”という発想は理にかなっていると言えます。開発の試行錯誤が進む中、新飲料のコンセプトは"汗の飲料”に定まりました。人間は発汗すると水分を失います。汗には水分以外に塩分とわずかなミネラルが含まれており、発汗し続けると体に必要な水分と電解質が失われてしまいます。そこで、失われた水分と電解質を素早く補うには汗に近い成分の飲料を摂取すれば良いという発想の下、1000種類以上の試作品が作られました。

       

      しかし、汗に近い成分の飲料となると味に難があるのは想像に難くありません。発売当初、営業担当は、販売店と消費者から理解を得るのに大変な苦労をしたそうです。コーラやファンタと同種の新飲料としてポカリスウェットを捉えていた当時の小学生が「なんだこれ」と思ったのも無理はありません。

       

       

      ■科学実験の強い味方!

       

      塾で「糖」の実験を行うにあたり、必要な部材をスーパーマーケットまで買い出しに出かけた時のことです。ブドウ糖、果糖、麦芽糖、ショ糖、エリスリトール、オリゴ糖etc.、糖に関連する食品の現状を調べようと、片っ端から食品を手に取り成分表を眺めていました。(買い出しの時でなくても職業柄よくやってしまいます。平日の昼間に食品の成分表ばかり見つめる中年男性…やばい。)手に取ったポカリスウェットの成分表を見て、「すごい!」とはしゃいでしまいました。(心の中で)

       

      ポカリスウェットの原材料(大塚製薬ホームページより)

      砂糖(国内製造)、果糖ぶどう糖液糖、果汁、食塩/酸味料、香料、塩化K乳酸Ca、調味料(アミノ酸)、塩化Mg酸化防止剤(ビタミンC)

       

      ポカリスウェットには、これまで数々の理科実験でお世話になっています。

       

      ‥澱咾亮存海任蓮電解液として…

      亜鉛版と銅板をポカリスウェットに入れると電気が流れます。原材料の食塩・塩化K・乳酸Ca・塩化Mgは、溶液中ではナトリウム・カリウム・カルシウム・マグネシウムのプラスイオンと塩化物・クエン酸・乳酸のマイナスイオンとなりますから、電子の流れが生まれるわけです。

       

      豆腐の実験では、にがりとして…

      大豆をすりつぶして濾した汁(ごじる)ににがりを入れると豆腐ができます。にがりの代わりにポカリスウェットを入れると甘いポカリ味の豆腐ができます。ごじるのタンパク質を電気的に結合する働きをするのが、マグネシウムイオン(2価の陽イオン)です。このマグネシウムイオンはにがりの主成分でもあり、汗に含まれるミネラルでもありますから、ポカリスウェットに含まれています。

       

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      中学や高校の化学で登場する酸化と還元を覚えていますか。酸素と結びつき電子を失うのが酸化で、その逆が還元です。ポカリスウェットに限ったことではありませんが、ビタミンCは酸化防止剤としてお茶やジュースなどに添加されています。ビタミンC(薬品名をアスコルビン酸という)は還元作用のある物質で、お茶や果汁が酸化されて風味が悪くなるのを防いでくれます。理科実験では、茶色のヨウ素液にビタミンCをたらして無色透明にする還元実験が定番です。

       

      っ嬰類のブドウ糖と果糖

      果糖ブドウ糖液糖はアイスクリーム・かき氷シロップ・清涼飲料水などに添加されています。上白糖やグラニュー糖などのいわゆる砂糖は二糖類といいまして、同じ糖でも分子構造が異なります。前述の点滴薬でも述べた通り、単糖類は消化する必要がなく吸収されるのに対して、二糖類である砂糖は、消化して単糖類にしないと吸収されません。単糖類である果糖は砂糖より甘みが強く、特に低温で甘みを発揮することからアイスクリームや清涼飲料水に添加されています。

       

      イオンサプライ、化学満載!さすが製薬会社が開発した飲料です。ポカリスウェットが国民的清涼飲料水としての地位を確立した所以に頷けます。一方で、ポカリスウェットが"汗の飲料”であるということから、私たちの体がいかに化学的な組成をしているのかを改めて痛感させられます。

       

      追伸)理科実験で便利な、濃度調節が可能な粉末タイプまで開発してくれた大塚製薬さま、ありがとうございます。理科実験なんて想定された使い方ではないでしょうが…。

       

       

       

       

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      探究学習のススメ−日曜は、科学実験の探究に没頭する。−

      2019.07.17 Wednesday 15:22
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        科学実験塾を営んでいると、ある壁に突き当たります。ある壁というのは、「限られた時間の中で、科学実験を通して学びの本質を生徒に伝えきれているのか」という問題です。

         

         

        ■探究学習で得られる3つの力

         

        学びの本質とは、探究する学習の中にあります。科学実験は奥深く、興味や閃きをそそる素材の宝庫ですから、探究するのに適しています。自然科学の原理を知り、科学と日常生活との接点から新たな疑問や課題を起こし、課題の解決に向けて試行錯誤する。探究活動の過程において、「課題を自らに問う力」・「考える力」・「解決する力」を養えます。もっとも、科学実験以外の分野でも夢中になれるもの・探究できるものがあれば、3つの力を養うことは可能です。理科教育に従事する者として、ここでは科学実験を中心に話を進めます。

         

        探究学習の一方で、偏差値や受験の合否を教育のゴールだと考えている人は未だ世の大半を占めています。こうした傾向は、功利主義が渦巻く世相の表れかもしれません。例として、『地域の御三家・四天王と呼ばれる高校ならどこでもいいから入りたい。』とか、『学部は関係なく、MARCH以上の大学ならどこでもいい。』とかいった声がよく聞かれます。(かく言う私も10代の頃は右に同じでした。)しかし、学びの本質を欠いたまま勉強に臨んでも思うように成績は上がらないでしょう。詰め込みとテクニックで合格を勝ち取ったとしても、受験の成果が個人の豊かさと社会の持続繁栄に寄与しない見せかけのものに終わるかもしれません。(個人の豊かさとは何かという問題がありますが、それは別の機会に。)学ぶ上で大切なことは、学びの奥深さ・考える楽しさを知っているかどうかにあります。それでも、多くの受験生や親は点数に直結する(と思い込んでいる)勉強やハウツーばかりを追いかけ、探究学習には目もくれません。

         

         

        ■探究学習は受験と無関係なのか―堀川の奇跡が証明したこと―

         

        京都市の中心部、かつて本能寺があった場所に私立高校と見紛えるほどの近代的な校舎がそびえています。京都市立堀川高校は、明治41年創立の京都市立堀川高等女学校を前身とする伝統校です。公立ながら毎年、京都大学の合格者数ランキングで上位に顔をのぞかせることで有名ですが、20年ほど前までは国公立大学の合格者数が10名に満たない学校でした。いったい、この20年の間に堀川高校ではどんな秘策が施されたのでしょうか。私立高校にありがちな特進コースを設けて、予備校のごとく受験の猛特訓を生徒に課したわけではありません。

         

        堀川高校の特徴は、20年前に新設した探究科という一風変わった名称の専門学科にあります。探究科は、人文・社会系の人間探究科2クラスと自然科学系の自然探究科2クラスで構成されています。自立した個人を養成するという理念の下、探究科の生徒たちは主体的な学びを実践しています。具体的な活動の一つとして、1・2年次に履修する探究基礎とよばれる科目があります。探究基礎では、独自テキストを用いたゼミナール形式の授業や個人研究活動を通して、ディスカッション・質疑応答・パネル発表などの経験を積みます。その目的は、受験に直結した学力の向上ではなく、「どのように研究学習に取り組めばよいのか」という“探究学習の仕方”を学ぶことにあります。

         

        探究科初年度の卒業生を輩出した2002年には、前年6名だった国公立大学の合格者数が106名へと大躍進を遂げ、堀川の奇跡と謳われました。探究学習の仕方を学んだ生徒たちは、自ら課題を設定し、その課題の解決に至るまでのプロセスを試行錯誤する学びを行ってきました。試行錯誤する学びには用意された正解がありません。生徒たちは、教科書をなぞる学習にはない楽しさや苦しさを経験する中で、学びで広がる可能性を実感してきたのではないでしょうか。堀川の奇跡は、探究学習を通じて生徒たちが進路への明確なビジョンを見据え、学びのモチベーションを抱いた証左です。

         

         

        ■科学実験を通して探究学習させることへのジレンマ

         

        科学実験は、黒板とテキストがあれば授業が成り立つ座学とは異なり、試薬や科学器具を扱いながら進行する実習授業です。故に、科学実験と向き合うには腰を据えて取り組む必要があります。さらに座学と同様または、それ以上に思考する労力も要します。というのも、科学実験とは本来、疑問を問うところから始まり、予備知識を調べ上げ、仮説を巡らし、実験計画⇒準備⇒検証⇒失敗や新たな疑問⇒検証の繰り返し⇒考察、に至るまでの地道で長い道のりをたどるからです。試行錯誤しながら科学実験を探究するには時間を要します。たまに来る実験教室の2〜3時間程度の授業時間において、生徒たちにこの道のりをじっくり探究させることにジレンマを感じる時があります。

         

        科学実験のプログラムを検討する時、時間内で完結できるように内容を絞り、可能な限りの下準備を事前に施し、分かりやすく再現性のある結果となるように調整します。生徒たちは、こちらが事前に敷いたレールをたどりながら実習に臨むわけです。本来、科学実験は、仮説の誤りや実験方法・条件設定の甘さによる失敗がつきものです。一発で成功するようにお膳立てされた実験ばかりを体験していると、エンターテイメント性を追求し、理解が深まらないというパラドックスが発生します。言い方が悪いのですが、授業時間が限られている以上、面白く分かりやすい科学現象のいい所どりをさせてしまっている節は否定できません。もちろん、理科の専門塾として充実した内容を行っている自負はありますし、生徒たちに科学への好奇心を喚起させ、基本的理解を深めさせる上で、一定の責務を果たしてきたと思っています。しかし、中学生以上を対象にする実験塾として、面白楽しの実験結果を受け身的に楽しませて終わりでは、意味がありません。

         

        昔の教え子から当時よく聞かれた言葉があります。この教え子は、教室へ入って来ると「今日は、どんな楽しい実験をしてくれるのか?」と私に聞くことが挨拶代わりでした。毎回、塾に通うのを楽しみにしてくれていた点では、私にとって嬉しいエピソードです。しかし、どこか実験ショーを体験しに来たかのような受け身な言葉に実験塾としての至らなさみたいなものを感じていました。もちろん、この教え子が悪いのではありません。むしろ、好奇心も旺盛で、理解も優秀な生徒でした。子どもたちが受け身の学習姿勢となってしまう原因は、学校をはじめとする日本の教育の在り方にあります。

         

         

        ■受け身型学習に慣れすぎてしまった子どもたち

         

        日本の凡その学校では先生の教えたことをなぞることが教育のかたちとされてきました。子どもたちは小学校から受け身の学習スタイルを強いられてきたため、自学自習の方法を知りません。日本の教育は、教科ごとの枠にはめられた既知の知識の習得に重きを置いています。学校でも塾でも、生徒全員が一人の先生へ体を向けて、教えられたことを素直になぞり、正しい解き方に沿って解くという受け身の学習が行われています。受け身型学習のすべてを否定しているのではありません。年齢の段階に応じて子どもたちの真っ白なキャンバスに既知の知識を学ばせることは必要です。積み上げた知識を体系化すれば、考える際の引き出しとなるからです。しかしながら、受け身学習の経験しかない子どもたちは2つの弊害に陥りがちです。一つは、問題は与えられるものだという思い込みであり、もう一つは、解答に至るプロセスよりも正解をすぐに求めてしまう学習姿勢です。

         

        受け身型学習に慣れた子どもたちに「仮説を立よう」だとか、「結果から考察しよう」だとか、「新たな疑問を生み出そう」だとか求めても、子どもたちは何をどのように考えればよいのか分かりません。そこで、考えるために必要な基礎知識を学ばせた上で、実験のプロセスと考え方を教える必要があります。実験の失敗も授業に活用すると、失敗が試行錯誤を促し、思考と理解を深めさせる材料となります。先生は、安全を確保しながら見守り、生徒が行き詰った時にアドバイスを与える役割に徹して、探究が生まれる環境を作れば良いのです。

         

         

        ■あなたの日曜日の7時間をください。

         

        探究する学びとはどういうものなのか。探究から得られる前述の“3つの力”をどうしたら養えるのか。これらは、先生からテキストを使って教えられるのではなく、自ら探究活動する中で掴み取るしかありません。科学体験ショーではない、知的探究としての科学実験を行うにはまとまった時間が必要だと述べてきました。一つのテーマを掘り下げるために、失敗も含めて様々な角度から実験を試行錯誤する。「どうすれば課題を解決できるのか。」、「仮説を検証するために実験計画をどのように立てれば良いのか。」、「結果から得られたデータをどのように整理して捉えればよいのか。」、手を動かし、眼を利かせて、思案する。科学実験の探究に没頭することで、「問う力」・「考える力」・「解決する力」を身につける。実験塾を運営する者として、科学好きな中高生に科学探究づくしの場を提供したいとの思いを巡らせてきました。

         

        中高生は受験勉強や部活動に忙しい日々を送っています。特に部活動では休日の活動と朝練が当たり前のように行われ、中高生の貴重な時間を奪っています。国体やオリンピック、その先のプロ入りを目指しているのならば部活動に青春をかけてください。ただし、理路整然とした指導の下、科学的なトレーニング法を取り入れて成長期の体づくりを考慮した環境が整っていることを願います。しかし、もし所属している部活動から半ば強制的に参加を求められているのならば、または、周囲と歩調を合わせ仕方なく参加しているのならば、もしくは、精神論を唱える鬼顧問と先輩の顔色を伺わなければならない空気が蔓延しているのならば、あなたが本当に興味のある分野に時間を割くべきです。

         

        理科塾は、科学系の学習と進路に興味を抱く中高生を応援します。月に1度の日曜日の7時間、科学実験の探究に没頭してみませんか。できることなら毎週日曜日としたいところですが、他教科の勉強も必要ですし、家族や友達や恋人?と過ごす時間も大切ですから、控えめにしておきます。それでも、朝から夕方まで少人数で主体的に科学探究をするのは、ハードスタディです。これまで気づけなかった学びの世界に足を踏み入れることで、知りえなかった未来を垣間見るチャンスがここにあります。

          

        解答をすぐに求める学習しか知らない生徒よりも、解答に至る道筋を考え抜く力に長けた生徒の方が、受験でもその後の人生でも道を切り拓いていけます。

         

         

        理科塾ホームページ>科学コース>日曜探究ラボの詳細はこちら

         

         

         

         

         

         

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        それ、悪文かも。話せても書けない「書き言葉」−悪文を書かないための講座 

        2019.05.17 Friday 15:09
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          学校英語では、英文法(grammar)をみっちり教え込まれるのに、母国語である日本語の文法や作文技術をあまり教わらないのは、学校七不思議の一つです。話し言葉と書き言葉は別物です。日本語を母国語として日常的に使っているから、書き言葉も自然とできるようになるわけではありません。英文法と同様に、書き言葉もルールや技術を教えるべきです。

           

           

          先日、スーパーにドレッシングを買いに行った際に、ポップに書かれたコピーが気になりました。

           

           

          『玉ねぎ特有のシャキシャキとした食感や甘みを引き出すため、相性の良い玄麦黒酢を合わせたドレッシングで、まろやかな酸味とコク、芳醇な香りが特徴です。』

           

           

          伝えたいことはなんとなく分かります。しかしながら、アピールポイントの主軸がどこにあるのか、玉ねぎなのか、黒酢なのか、食感なのか、甘みなのか、酸味なのか、コクなのか、香りなのか、なんでしょう。そもそも、文章がスッと頭に入ってきません。なぜはっきりしない印象のコピーになってしまったのか文章を分解してみます。

           

           

          ■係り受けがはっきりしない

           

          係り受けとは、文節・句ごとの修飾・被修飾関係をいいます。前半部分『玉ねぎ特有のシャキシャキとした食感や甘みを引き出すため』に注目してみましょう。まず文節・句に分解します。

           

          玉ねぎ特有の / シャキシャキとした / 食感や / 甘みを / 引き出すため

           

          日本語は動詞を係り受けの終着点として文が構成されます。前半部分では、【引き出す】という動詞が終着点です。【引き出す】に係るのは【食感(を)】と【甘みを】になります。続いて2つの形容表現の係り受けを見てみましょう。【玉ねぎ特有の】は【食感】と【甘み】にそれぞれ係ります。【シャキシャキとした】は【食感】にだけ係るはずです。″シャキシャキとした甘み”はちょっと変ですよね。ところが、この文節順では”シャキシャキとした甘み”と係り受けが起きてしまいます。不要な係り受けを避けるために下記の様に順序を入れ替えます。

           

          玉ねぎ特有の / 甘みや / シャキシャキとした / 食感を / 引き出すため

           

           

          ■一文が長い

           

          伝えたい情報を一文(72文字)にすべて詰め込んでいます。一文が長くなると伝えたい情報が2つ3つ入ってしまい、何を伝えたいのか逆に分かりにくくなります。"一文一意”という原則があり、一文には一つの情報だけを載せると読み手に分かりやすい文章となります。今回のコピーでは、大まかに捉えて2つの情報が一文に入っています。

           

          ゞ未佑と黒酢を合わせた。

          ∋戚とコクと香りが特徴。

           

          一文が長くなる傾向に陥る人は意外と多いのではないでしょうか。「〜で、」・「〜して、」を多用すると文章が長くなり、一文中に情報量が多くなりがちです。そこで、一文を40文字程度にすると一文一意に収まりやすく、読み手に情報が伝わりやすくなります。(40文字より長い文章が悪文というわけではありません。ただし、それには高度な文章力を必要としますから、初心者の方は一文40文字を意識することをお勧めします。)今回のコピーも一文一意の原則に従って二文に分けてみます。

           

          『玉ねぎ特有の甘みやシャキシャキとした食感を引き出すため、相性の良い玄麦黒酢を合わせました。』

          『まろやかな酸味とコク、芳醇な香りが特徴です。』

           

           

          ■並列の関係がきちんと表されていない

           

          ,泙蹐笋な酸味 ▲灰 KЫ罎聞瓩蠅蓮△垢戮董敍団Г任后曚紡个垢觴膰譴任△蝓∧体鶸愀犬砲△蠅泙后ところが、〇戚と▲灰は助詞の【と】で結ばれているのに対して、9瓩蠅蓮據◆米錨澄法曚之襪个譴討い泙后推測するに、3つの語句を助詞の【と】ですべて結ぶとリズムに締まりが無くなると、このコピーの作成者は考えたのではないでしょうか。並列語句の表し方には色々ありますが、今回のコピーでは【・(中点)】を使うといいでしょう。

           

          『まろやかな酸味・コク・芳醇な香りが特徴です。』

           

           

          ■イメージしやすい語彙を使用する

           

          ここまでの修正で文章としては、正しくなりました。次に、伝えたい情報を読み手がイメージできるように、使用する語彙を選定しましょう。日本語には、一つのものを表現するのに複数の単語が存在します。例として、雑草が生い茂っている場所を表現する単語に、茂み・やぶ・草むら・原っぱ等があります。それぞれの単語は、凡そ同じ意味ですが、微妙にニュアンスや連想するイメージが異なります。このドレッシングのウリは、酸味とコクと香りをバランスよく調合できたことですから、【特徴です】は、アピールするにはあっさりしすぎた表現です。以下のようにリライトしてみます。

           

          『まろやかな酸味・コク・芳醇な香りが調和した風味をご賞味ください。』

           

          表現の仕方に主観や好みがあるものの、少しは良くなったでしょうか。

           

           

          ■形容詞を多用しすぎている

           

          強調したい気持ちが強すぎると、つい多用してしまうのが形容詞と副詞です。食レポで有名な彦摩呂さんが、これでもかというほどに形容表現を用いるので、一般の人も食べ物に関して形容表現を多用してしまうのかもしれません。しかし、彦摩呂さんの表現は芸の域であり、文章技術とは別物です。形容表現を多用しすぎると、読み手にはしつこい印象を与えてしまいます。真に必要な時にだけ形容表現を用いた方が、効果的に情報を伝えられます。今回のコピーで使用されている形容表現は以下の通りです。

           

           

          シャキシャキとした(食感)  相性の良い(玄麦黒酢)  まろやかな(酸味)  芳醇な(香り)

           

           

          シャキシャキとした⇒玉ねぎの食感が"シャキシャキ”しているのは、共通認識です。あえて強調する必要はありません。

           

          相性の良い⇒“玄麦黒酢”自体に個性があります。"相性の良い”も外してみます。

           

          まろやかな・芳醇な⇒"まろやかな酸味”はイメージできますが、"芳醇な香り”とはどのような香りなのか分かりません。

           

           

          形容表現を整理すると以下のようになります。

           

          『玉ねぎ特有の甘みや食感を引き出すため、玄麦黒酢を合わせました。』

          『まろやかな酸味・コク・香りが調和した風味をご賞味ください。』

           

          元のコピーを生かした形で修正しても、分かりやすくなったのではないでしょうか。文章は読み手に情報を伝えるものです。文章技術を会得すれば、分かりやすい文章を誰でも書けるようになります。もちろん、表現の仕方に正解は一つではありません。もっと上手にコピーを作れる方は名コピーライターを目指して頑張ってください。

           

           

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          category:国語力養成講座 | by:理科塾comments(0) | -

          無知な自分を知ることから始まる知性

          2019.05.16 Thursday 13:50
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            こーたろさんという方が投稿した以下のツイッターが話題になっています。

             

            『バスで料金払うときに手帳見せて障害者の料金で払ったんだけど、後ろの老人の一言でかなり落ち込みました。自分は発達障害だから見た目は何もないんです。「最近の若者は見た目丈夫なのに嘘ついて手帳貰ってるのか。」その先は頭真っ白になって聞こ取れなかったけど悲しいですね。』(原文のまま)
             

            こーたろさんは、自閉スペクトラム症とADHDを抱えており、精神障碍者保健福祉手帳3級を取得しているそうです。暴言を吐いた老人は、障碍者手帳を取得する手続きの大変さや障碍者手帳を持つ意味を知らなかったのでしょう。このツイッターのニュースを聞いて私は、古代ギリシャの哲学者プラトンによって書き起こされたソクラテスのある名言を思い浮かべました。

             

            『自身が無知であることに気づいた人間は、自身が無知であることに気づかない人間よりもはるかに賢いのである。』

             

            どんなに博識な人も諸事万端を知り尽くせません。“知らない”は恥ではありません。気をつけなければならないことは、無知に対して鈍感であったり、知った気になったりする態度です。知らない・分からないから疑問を抱き、調べ、考え、想像を巡らせる。無知であることに気づかぬ人は、自らの狭い見識から物事を判断するため、偏見や差別を生みます。思い込み・誤解・独りよがりな主張を正当化して、我こそが正義だと胸を張るのでしょう。

             

            このソクラテスの名言を初めて耳にしたのは、私が10代の頃だったでしょうか。当時は、「相手を言いくるめたい頭でっかちな人の屁理屈」ぐらいにしか理解していませんでした。改めて、ソクラテスの名言に込められた意図を自分なりに解釈すると以下のような感じでしょうか。知を探究する欲求や活動そのものが、知性であり、理性である。探究心の出発点は、自らが無知であることを受け入れる謙虚さにあるのだと。

             

            想像力のない人・意味を考えない人・自分都合で世界を捉える人・相手を敬う気持ちを捨ててしまった人…残念な人にならないために謙虚さを忘れず、探究する心を持ちましょう。

            category:知性を考える独り言 | by:理科塾comments(0) | -